自己紹介 愛犬と旅行
ライン

オーナーこと沢田純之助の略歴

昭和32年、東京下町は千住に生まれ、メンコにビー玉、駄菓子屋通いの毎日、
酢イカに麩菓子、くじをひいて紙芝居!
そのころに培われた精神が今も息づいているようで、とにかく大の勉強嫌い。やっとこさ入った大学も、卒業するのに必要な単位しかとらず、後はバイクに車と、毎日忙しく充実した学生生活でした。なんてったって、私とたった1単位しかちがわない友人が留年してしまったんですから。
卒業後、社会の波に少しだけもまれてから都を離れ、そしてPHマッキントッシュを開業とあいなったわけです。今にして思えば、昔からこういった仙人的生活にあこがれていたのかもしれません。 
人生何かを得るためには、そのほかの多くの物を捨てざるを得ないことを、すでに体得していたのでしょうか。遊ぶことを理想とし、遊んでみせることが仕事なんて言う業種が他にあるでしょうか。申し訳ありません(笑)
忙しい時と暇な時間とのメリハリがきちんとあって、本当に、怠け者の私向きの人生だと思います。きっと腰が曲がっても、「いらっしゃいませー!」 なんてやってるでしょう。みなさんも私の老後をどうぞ見極めてやって下さい。「本当にしようがないやつだなー!」 的な感じがグッドです。ヨロシコ!

「エンジン病」
 自動車の免許を取得して以来、クルマ好きは変わっていません。今おじさんをやってるような年代の方は、みんな若い頃はクルマ大好きだったはずですが、それよりもほんの少しだけその度合いが強いようです。
 子供のころ初めて乗った乗り物すべてに異様な執着心をみせて親を困らせたそうですが、遊園地のゴーカートでそれが極まったようです。近所に捨ててあったスバルN360を直して、自分で乗れるように改造すると言ったのは自分でも覚えています。
 すさまじい改造計画でした。プラットフォームというか、床部分を除いて切り払ってオープンボディで乗る計画でした。いつも頭はそのことでいっぱい。あれをこうして、ここはああしてと頭の中で図面を書いては消し、書いては消しの毎日でした。
持ち主の近所のオニーサンにエンジンだけはかかるようにしてもらい、裏のデコボコの空き地でズンドコズンドコ微速で乗り回していたものです。

 外からは出入り出来ない閉鎖区域でしたが、あきらかな無免許ですから、おおらかな時代だったんですね!だれもとがめませんでしたね。(笑)

 合法的に運転可能な年齢に達した16歳過ぎに、府中の試験場に原付の筆記試験を受けに行きました。親はもちろん知りません。「バイクなんてそんな危ないものとんでもない!」というごく普通の家庭にそだったわけですから、当然の結果といえます。スズキのRG50やホンダのST50(ダックス)など親に隠れて乗り回しました。そのめくるめく快感に、頬はゆるみっぱなしでしたね。じきに親にバレてとりあげられましたが・・・。(笑)
 その続編は、18歳まで持ち越しのはずでしたが、予想外の事件でもうしばらくかかりました。
「免許取りに行って良い」の条件が大学に入ったら!でしたから(爆)
やや手間取りましたが、合格発表の翌日に、中央線からみえる「尾久自動車教習所」に飛んで行ったのは言うまでもありません。教習は毎日楽しいツーリングでした。教官に「お前、前に運転にしていただろ!」といわれたのですが、多分、免許取り消し受けた後に、もう一度教習所で取りにきたものと勘違いされたようです。

 この世の中には、エンジン付のいろんなものがあります。クルマや二輪のバイクだけでなく、3輪や4輪もスノーモービルや除雪機、発電機やはたまた草刈機まで、エンジンの回転音は、私にとっては、赤ちゃんの子守唄のようなものかもしれません。しかし、いまだ未熟者の域を出ていませんので、さらなる精進を心がけねばと思っています。
しかし、そのすべてはあくまで道具にすぎませんので、人間のためにあることを忘れてはなりませんね!いつも自分にそう言い聞かせています。(爆)
ライン
 
オーナー夫人こと沢田薫の略歴

昭和38年東京小平市に生まれ、小さい頃からスポーツ好きで、バスケットやバレーボール部に所属して、自宅と体育館とを往復する毎日でした。

 友人達がおしゃれに夢中になっていても、私はいつも上下ともジャージでキャンパスを歩いていたものです。運動好きがこうじて、はたからは末は体育教師かなどという声もありましたが、経済学部の学生とすれば、卒業後は当然普通のOLとして就職したのでした。

 世はスキーブームのまっただ中、会社の方に誘われて行った志賀高原で、同じく友人とスキーに来ていた、今の主人と知り合いまして、ほどなく結婚!ところが、独身時代に生活の雑事のすべてを親任せにしていた私は、ペンションのお仕事、特にお料理に激しく不安を覚えました。でも、思い切って飛びこんだこの世界が、実はこんなに自分に合ってるとは正直言って驚きでした。

 その後、友人の紹介を通じて、東京のショーブリーダーの石田さんのところから、最初のビーグル犬(チャッピー)がやってきました。それ以来、すっかりビーグルの魅力の虜になってしまいましたが、その初代犬が若くして逝ってしまったのです。
 程なく再び迎えたビーグル犬「ロッキー」の成長を見るにつけ、この子の血筋を一生絶やさずにずっと続けていこうと決心したのです。それから、お嫁さん探しに明け暮れる日々が始まり、その結果ミルキーとサリーが北海道からやってきました。

 期を熟すのを待って生まれたのが、ジャッキーとクッキーです。そうして5匹のビーグルと暮らすうち、自分がなにをやりたいか、次第にはっきりしてきたように思います。
縁あってロッキーの父犬のジャックも合流して、今は計11匹のビーグルに囲まれるようになりましたが、一匹一匹の幸せを祈りながら、彼らと共に楽しく賑やかに、これからの人生を送って行けたらと思います。

最近は、ランニングに目覚めまして、マラソンとまでは行かなくても、年3回ほど、県内の草大会に出ることを目標に走っています。数十年ぶりかで、再び運動していると、身も心もすっきりとリフレッシュできますので、最高に気持ちよいです。走っている最中は、早く終わってほしい、早くゴールしたいと思うのですが、しばらくするとまた今度はどの大会にいこうかなあ?などと思い始めるのです(笑)

主人にも薦めましたが、曰く「エンジンがついていないとね〜!」だそうです。(笑)
ライン
ペット(犬)と泊まれる宿 「ペンション マッキントッシュ」 トップへ